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 初めて海外スポッティングに出掛けたのは1989年夏のことでした。
 当時はまだ駆出しカメラマンとして、それほど稼いでいるわけではありませんでした。
 学生時代から南の島への憧れが漠然とあり、毎年夏休みになると船!に乗って、奄美諸島、沖縄諸島へと出掛けていました。
 主たる目的が旅客機の撮影だった…、というのはもちろんでありましたが…(苦笑)
 88年の夏で石垣島まで辿り着けた筆者ですが、その翌年はどうしたものかと考えていたところ、たまたまエイビーロード(*1)で「大韓航空ロサンゼルス、ノンストップ便就航記念スペシャル!ロサンゼルス7日間」なる広告が目にとまりました。 ちょうどその年から成田(NRT)-ロサンゼルス(LAX)間をノンストップで飛び始めた大韓航空(*2)を使ったキャンペーン・パッケージだったのですが、確か9月出発の7日間で119000円という値段だったと記憶してます。
 今でこそ激安運賃で季節によっては往復4万円すら切ろうかというNRT-LAXですが、当時はまだまだ高値の花の海外旅行でした(少なくとも自分には…(^_^;)。

 そこで一念発起してパスポートを取り、遂に初の海外撮影へ出掛ける決心をしました。
 本来一人参加の場合には追加料金が必要なのですが、相部屋希望なら119000円で構わないという温情ある代理店の方針で、結局相部屋希望者が他にいなかった為に追加料金を払っていないにもかかわらず一人部屋を使えることとなりました。
 その頃の筆者は「コネ無しのつて無し」で、海外での撮影環境などは古い雑誌記事(*3)の断片に頼っていました。
 当時から欲張った日程が大好きだった私は自分なりにパッケージの自由時間を工夫して、勝手にオプショナル・ツアー(笑)を作って見ました。
 それがLAX-PHX/SANの日帰り旅行でした。
 パッケージを申し込んだ代理店はアメリカ国内線の航空券を作る事を嫌がって受けてくれなかったので、仕方無しに自分でアチコチの航空会社に電話を掛けて運賃や発券方法を聞いて、航空会社のカウンターや旅行代理店を回って航空券を作って貰いました。
 このへんのことは、中学生の頃から国内旅行で地元のJTBに入り浸っていた?せいもあり、苦にはなりませんでした。というか自分であれこれいじらないと気が済まない性質なのです(こまった奴!)
 ついでに言うと最初に立てたプランで旅程の全工程をそのまま終わらせる、ということが苦手で大抵途中で予定を変更してしまうのも昔からの特技です(おぃおぃ)
 ではここで行程を見てみましょう。

1日目 NRT - LAX 到着後半日観光
2日目 フェニックス(PHX)日帰り BUR(*4) - PHX - LAX
3日目 サンディエゴ(SAN)日帰り LAX - SAN - LAX
4日目 ロサンゼルス
5日目 ロサンゼルス
6日目 LAX -
7日目 - NRT

 このプランを作っている段階では、実はまだロサンゼルスでの滞在ホテルが判明していなかったのですが、「XXと同等クラス」というパンフのホテルを見てで、「バーバンクの方が近いんじゃない?」と勝手に判断してPHXへの出発空港をBURへ決めたのでした。ではなぜ帰りもそうしなかったのか?というと、やっぱり余り自信が無かったのだと思います(苦笑)。
 片やSAN往復の方はBURからの便が極端に少なかったのと、色々な航空会社に乗って見たかったので敢えてLAX発着にしたのでした。
 ということで選んだ航空会社は4区間とも見事にバラバラで、PHX往復は行きがUSAir、帰りがアメリカ・ウエスト、SAN往復の方は行きTWA、帰りがパンナム・エクスプレスという組み合せでした。

 さて実行当日。
 ドキドキしながら成田空港の集合場所に出向いて搭乗券を貰い、これまたドキドキしながら件?の大韓航空(KE)へ乗り込みました。機材は当時最新鋭の747-400!
 日本人はイジメラレルという恐怖心はアッサリと消え、怪しげな日本語を操る乗務員諸氏にホッとしながらロサンゼルスへと旅立ちました。
 KE機内での記憶?は実は殆ど残っていません。元々飛行機に乗っている時はブレーカーが2、3個落ちるようで、余程印象的な事でもないとサッサと忘れてしまうのです(^_^;)
 行きの機内では時差調整の為に前夜徹夜したこともあり、それなりに睡眠を摂ってLAXに乗り込んだのでした。
 KEは今も昔もLAXに朝早く到着する便なので、取り敢えずお約束の半日観光に連れて行かれましたが、観光地巡り?の後、リトル東京で何故か中華料理の昼食、そしてこれまたお決まりのデューティー・フリー・ショップ(DFS)へと連れて行かれました。
 この時強烈な印象に残っているのは、ダウンタウンのDFSで暇を持て余して外に出て見たところ、わずか1ブロック程離れた歩道イッパイに「ホームレスな人々」がワラワラ居てビックリしたことでしょう。とてもじゃないけどあの中へ入って行く度胸はありませんでした(汗)
 DFSからは他の幾つかのツアー参加のグループと混乗でホテルへ送り届けられたのですが、「ダウンタウンのど真ん中のホテルに降ろされたらどうしよう」、とビビリながら(苦笑)最後まで連れまわされ、結局ウイルシャーのハイアット(*5)へと辿り着いたのでした。そこはビジネス街である意味殺風景なのですが、少なくとも「ホームレスのワラワラ」はありませんでした(苦笑)。
 さてその日最後の試練、夕食を一人でどうしよう??ということで、同じパック参加者を誘って見ようと部屋を訪れるが既に外出後か、結局相手を見付けられず、仕方なくホテル近くのマクドナルドへと行ったのでした。オーダー出来るかどうか、結構ドキドキものでしたが、ナントカいつもの?チーズバーガーをGet(笑)無事に初日が終わりました(/_ _)/zzz
 明けて2日目、この日はいきなりフェニックスへの日帰りです。
 見事?読みが当り、ホテルから程近いBURへ未だ夜が明けない内にタクシーで行きました。
 BURは想像以上にコンパクトな空港で、昨今の日本の地方空港の方が余程立派な作りですが、利便性はやはりアメリカのローカル空港の方に歩があるようです(当たり前か…(^_^;)。
 朝一番のPHX行きはUS Air(US)の737-300。元々はPSAという西海岸側を密なネットワークで結んでいた航空会社をUSが買収して移った路線で、どちらかというと低運賃低サービス的な印象の強かったUSになってどんな感じなんだろうと興味津々でした。
 日本の感覚で機内食なんか出ないだろう、と思っていたので暖かいオムレツが出てきたのにはビックリ!一瞬お金取られるのでは?と思ったのですが無料でした(笑)僅か1時間程の便なのに本格的なミールが出て来たのには正直驚きました。
 PHXに着いたら早速カーパークへ上がって撮影です。
 当時は未だターミナル4が完成してなくて、PHXのヌシ、AmericaWest(HP)とSouthwest(WN)もターミナル3を使っていました。
 今に比べるとトラフィックもやや少なめでしたが、未だ飛んでいたAmericanの727-100やEasternの727-200を撮れたのは収穫でした。
 さらに今でも名物?のメンテナンス会社のハンガー周辺には怪しい機体がイッパイ…\(゚▽゚;)/
 夕方今度はHPでLAXへ飛びましたが、こちらはドリンクとピーナツのみ…(/_;)というか、それが普通だと知ったのはその暫く後のことでした(^_^;)
 3日目はSAN日帰り! この日はLAXから出発ですが、やはりまだ暗い内にホテルを出ました。
 行きはTWAの767-200!で僅か30分のフライトです。なんでこんな短区間に767が飛んでいるかというと、実はLAX-SAN-JFK-LHR(*6)という長距離便の一部分だけ乗ったから、というのが真相(^_^;)
 さすがに何もサービスは無いだろうと思っていたらパックのオレンジ・ジュースを配ってくれました。エライ!
 SANではターミナル周辺に撮影ポイントが無かったので、市バス(*7)に乗って27エンドまで行きました。
 空港の反対側にはハーバーが広がり、航空母艦なんかも遠望出来る景色の良いところでしたが、まだ日差しの強い9月、したたかに日に焼けてしまいました(^_^;)
 当時のSANは今よりバリエーション豊かで、英国航空のDC-10が飛んでいたり、まだ今のようにメガキャリアの寡占が進み切っていない時代だったので、結構楽しめました。
 帰りはPanAm ExpressのDHC-7というマイナー?な組み合わせでした。
 チェックイン・カウンターに早めに行き、一便前に変更してもらったのですが、カウンターのスタッフは日系人の男性だったのを見て、妙に「さすがパンナム!」と思ったのは、今にして思えばトンチンカンなことで感心してる(笑)。
 カリフォルニアでは日系人は珍しくないのにネ(^_^;)
 どこか機内が裏寂れた雰囲気のDHC-7は、その後のパンナムの行く末を暗示しているかのようでしたが、ちゃんとアテンダントも乗って居て、ここでもドリンク・サービスがありました。
 そして4日目にして初めて本命のLAXで撮影開始です。
 取り敢えずTWAターミナル駐車場から撮影していましたが、もの足りなく感じたので、早速エンドにあるParking Lotへと移りました。
 24、25双方のエンドにあるLotは当時も今も変わらず、LAXの標準撮影ポイントとして君臨?しています。
 この頃はまだ空港北側には油田地帯の名残りがあり、ポンプも沢山残って居ました。映画の舞台そのままの景色(*8)にえらく感動したものです。
 さて、この日まで空港とホテル間の往復にはタクシーを使っていたのですが、さすがに毎回30ドル以上の出費はこたえて来たのでナントカ安く上がらないかと思い付いたのがSuper Shuttleの利用でした。
 アメリカの主な空港ではどこにでもある乗合バンなのですが、使い方がやや判り辛い?ので躊躇していたのですが、意を決してこの日の帰りに使って見ました。
 乗り場に行くと係の人が居るので、行先を告げると方面別に別れた乗合バンを停めてくれます。運転手に行先を告げると、車は直ぐに出ますが、定員が埋まるまで空港内をグルグル回るので中々出発してくれません(^_^;)
 なんとか満員になったらお客それぞれの目的地へ経路を組み立てて廻って行きます。そんな訳ですごく時間が掛かることがあるのですが、LAXからホテルまでタクシーの半値以下で済みました。
 ホテルから空港へは電話で呼べば良いのですが、チョット電話を掛けることに自信が無かったので(^_^;)、空港へ出勤(笑)する時はタクシーを使いつづけました。
 5日目もLAXでの撮影でしたが、この日が最終日ということで、気合を入れて撮影しました。
 当時は何を撮っても珍しかったのですが、やはりEasternのA300や復活なったBraniffのA320(*9)が今にしてみれば大きな収穫でした。
 そしてなんといってもパンナム!
 既に日本からは姿を消していたかつての超メジャー・キャリアの残像を撮影することが出来ました。
 便数は余り多くはありませんでしたが、懐かしい747や国内線中心の運航だったA300、737など数機を撮ることが出来ました。
 結局これが、「生きた本物のパンナム機」を撮る最後のチャンスだったのでした。
そして帰国日、あっという間の6日間でしたが、死体袋に入ることも無く(笑)、無事帰国するだけです。あとはサハリンに迷い込んで撃墜されなければ大丈夫(おぃおぃ)。
 帰りの機内では行きと同席だった同じパッケージ参加者の女の子とまた相席になりましたので、暇つぶしにトランプでも、と思ったので、ギャレーまで「トランプありませんか?」と貰いに行きました。
 すると「トランプはありませんが、これで宜しければ…」と差し出されたのが花札!\(゚▽゚;)/
 韓国で花札をするものかどうか判りませんが、意外な搭載品にビックリしました(^_^;)
 使い終わった後で女の子にあげてしまったのが今にしてみれば惜しかったかも?(笑)
 帰りの機内では余り寝ることも出来なかったので、機内映画も見ていましたが、ケビン・コスナー主演の「フィールド・オブ・ドリームス」を上映していましたが、残念ながら日本語の吹き替えや字幕が無く、最初の部分を居眠りしていて見逃したこともあり、さっぱり筋がワカラナイ難解な映画、と思い眺めていました(笑)。
 シッカリ韓国語の吹き替えはあったのですが、流暢な韓国語を喋るケビン・コスナーも一興でした…(^_^;)

 というわけで、この最初のLAX行きをキッカケに味をしめた筆者は、それから毎年海外へ出掛けるようになったのでした。


*1:当時チャーター便の情報収集の為に見ていた(苦笑)
*2:日本人が乗ると虐められると本気で怖がっていた、というのは実話(^_^;)
*3:当時の情報源は今は亡き「翼」と「エアライン」。まさか数年後に自分も航空雑誌に記事を書くことになろうとは。
*4:BUR = バーバンク。ハリウッドに近いロサンゼルス北西部のローカル空港
*5:今は名前が変わっている。多分現在はコリアナ・ホテルと呼ばれている。同じ通りのハイアット・リージェンシーとは違う(^_^;)
*6:JFKはご存知ニューヨークのJFK空港、LHRはロンドンのヒースロー空港。当時はまだTWAがLHR発着枠を持っていた。その後アメリカンへ売却してしまったが…。
*7:筆者がアメリカで乗ったことがある公共バスはサンディエゴとホノルルの2ヶ所だけ。他では怖くて乗れません(^_^;)
*8:空港北の旧油田エリア一帯はビバリーヒルズ・コップのロケ地として使われた。当時はまだポンプの残骸などが残っていた。
*9:何度か復活した同社、この時は最初の復活時のお話し。色違いA320で又しても話題を浚ったがあっという間に、また倒産した(^_^;)

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